商売人としてただ絵を売買するだけでなく、専門資格と専門知識を強化して活動する、ニュータイプの美術商を目指しています。あたたかなご縁をいただいたことを忘れず、熊谷作品の価値を次の時代へバトンタッチしていける画廊でありたいと思います。
柳ケ瀬画廊の歴史は洋画の材料店から始まった
「柳ケ瀬画廊」の創業はいつ頃でいらっしゃいますか。
私の祖父の代、大正8(1919)年に創業しました。まだ画廊という言葉がなく、絵画の専門店もない時代でしたので、市川商会という名前で商売をしていたそうです。扱っていた商品は洋画の材料で、油絵の具や筆、額縁、石膏像などを売っていました。絵描きさんの出入りが多いので、たまり場のような場所だったと聞いています。
当時は掛け売りの時代で、例えばお店で絵の具を一本買うと、その人の売掛帳簿に明細と金額が記されます。そして月末にまとめて一ヶ月分の買い物金額を請求する方法が一般的でした。当時は絵が売れることは稀で、絵描きさんたちの収入は少なかったようです。そうなると当然、月末に掛け売りの請求が来ても払えません。そこで彼らは困って、うちの店に来て「この絵を買い取ってくれないか」と頼んできたそうです。そんな経緯から、最初は洋画の材料店から始まって絵も扱い始めました。柳ケ瀬画廊という名前になったのは父の代で、昭和45(1970)年からです。
とても長い歴史をお持ちなのですね。市川さんがお店を継いだ経緯を教えてください。
私は他のところに就職することも考えつつ、なんとなく跡を継がないといけないのかなと考え、大学は教育学部で美術を専攻していました。進路を考え始めた頃、当時お付き合いのあった絵描きさんに関西大手の梅田画廊の専務さんをご紹介いただきました。そのときに「梅田画廊で修業させてもらえませんか」と聞いたところ、「3年や5年修業するぐらいだったら、梱包しか教えられない。来るなら10年単位でおいで」と言われました。行きたいとも思いましたが、実は父の代で何度か店がつぶれそうな危機があり、10年の間に本当につぶれてしまったら元も子もないと考えました。それで修業には行かず、そのまま3代目として店を継ぐことになりました。
美術業界に入って、はじめはわからないことや苦労も多かったですか。
大学の美術専攻では、美術関連のことを広く学びました。絵や工芸・陶芸、デザインや彫刻も一通りやりましたので、ある程度は下地がある状態で美術の世界に入りました。しかし、本に載っている有名な画家は歴史上の人物ですし、現役で活躍している方のことには詳しくなかったため、現場に出て毎日一歩ずつ美術商としての経験を積み重ねていきました。苦労というよりは、毎日が新鮮で本当に楽しかったです。
熊谷守一先生を多くの人に知って欲しい…熊谷作品にかける情熱
柳ケ瀬画廊は熊谷守一先生の作品を専門に扱っているそうですが、その背景についてお聞かせください。
2代目の父は武者小路実篤先生とお付き合いがあり、あるとき「岐阜出身の素晴らしい画家がいるから、ぜひ会ってみなさい」とご紹介いただいたのが熊谷守一先生です。そこからご縁ができて、今日に至るまで作品を扱っています。私の代になってからはより専門的に熊谷先生の作品を扱うことに決め、これまで油絵だけでも240点以上を納品してきました。これは熊谷先生の油絵の生涯作品の約20%にあたります。私自身も熊谷作品の大ファンですので、一人でも多くの方に熊谷先生を知ってもらうために様々な活動をしています。
熊谷守一先生を知ってもらうための活動について、ぜひ詳しく教えてください。
柳ケ瀬画廊が主催する年数回の熊谷守一展や東京のアートフェアへの出展に加えて、美術館の展覧会にも積極的に協力しています。今まで納品してきた240点以上の熊谷作品の行き先は、当然ながら私どもしかわかりません。2014年に岐阜県美術館で開催された熊谷守一展では、お客様ご所蔵の油絵119点を中心に貸出協力をいたしました。また、2017年に東京国立近代美術館で開催された熊谷先生の没後40年の展覧会では90点ほどの油絵を貸出協力いたしております。
熊谷先生は昔から、画家や美術愛好家などの間で評価が極めて高い存在でしたが、一般の知名度はそれほど高くありませんでした。それが美術館での多くの展覧会や、2013年の舞台「無欲の人 熊谷守一物語」(劇団民藝)、2018年の映画「モリのいる場所」(沖田修一監督、山﨑努・樹木希林主演)をきっかけに世間でかなり知られる存在になってきたと思います。
熊谷守一の著作権者だった熊谷榧さん(故人)と熊谷守一の「著作物管理委託契約書」を交わして、無断複製版画等の調査・取締等の業務委託を受託していたこともあります。NHKの番組「日曜美術館」で鑑定中(熊谷守一水墨淡彩画鑑定登録会)の様子を放送してもらったこともありました。また、『藝術新潮』にて熊谷守一つながりの都市間連携をテーマにした誌上座談会を行い、画廊活動と街の活性化活動をリンクした企画も開催しました。
美術館への協力などを積極的に引き受けられているそうですね。
美術館で展覧会が開かれると、同じ作品群を展示する巡回展であっても担当館の学芸員さんの解釈や展示計画によって個性が出ますから、それも楽しみで昔からずっと協力しています。長年見知っている作品でも知らない表情が見えるのは面白いことです。
また、美術館の天井の高さやライトの種類、館内装飾などの環境によっても絵の印象は変わります。良い絵というのは多彩な表情を持っていますので、熊谷作品の新たな表情に出会えることは嬉しい経験です。
お客様の大切な作品をお預かりして美術館に貸し出すため、神経も使いますし、貸出にあたっての様々な契約で大変なこともありますが、足元の利益よりも熊谷先生のファンが全国に広がる方が嬉しいですし、何より熊谷先生という存在を通じて色々な方に出会えるのは何事にも代え難い価値だと思っています。
良い作品を扱い、持ち主の方と末永くご縁を築きたい
「柳ケ瀬画廊」が創業以来、守り続けていらっしゃる信念は何ですか。
なるべく良い絵を扱うために、柳ケ瀬画廊には2つのキャッチコピーがあります。一つは「語りかける一枚」、つまり内容のある一級品を扱いたいということ。そしてもう一つが「コレクターとともに」です。絵に詳しい方とお話ししていると、お客様に教えていただくことが本当に多いです。お客様の数だけ作品に対する感想も違いますから、その声に耳を傾けることが美術商として一番大事なことだと思います。
岐阜という街を中心に、絵や美術品に愛情を持つ多くのお客様とご縁をいただき、今では熊谷守一先生の絵をご納品するお客様は全国にいらっしゃいます。今まで240点以上納品した熊谷油彩画作品の在所を把握し、もし作品を手放したい方がいらっしゃれば、柳ケ瀬画廊にお声をかけていただけるよう努めております。
お客様とのご縁を本当に大事にしていることが伝わってきます。
美術商は本当に積み上げが大事で、信用を失うのは一瞬です。きちんと仕事をこなしつつ、ただ堅いだけでもダメですからそこが難しいところです。柳ケ瀬画廊はこれまでずっと直接納品にこだわってきました。作品をご購入いただいたら、全国どこであろうと必ずお客様のお手元へ私自身が届けます。また美術館に貸し出しする際も必ず立ち会うようにしています。そうすることで絵とその持ち主にご縁がつながりますし、美術館の場合は学芸員さんと熊谷作品について語りあう時間が持てます。コツコツと続けていると、油絵はもちろん水墨画や書、版画も含めて多くの作品を扱えるようになりましたので、美術商はやはり継続に尽きると思います。
柳ケ瀬画廊で熊谷守一先生以外に扱っている作家さんやジャンルがあれば教えてください。
それほど多くはないのですが、熊谷先生と同世代の巨匠も扱う逸品展も定期的におこなっています。例えば藤田嗣治先生や、坂本繁二郎先生、そして香月泰男先生などを展示しています。熊谷守一先生のファンは香月泰男先生の作品も好きな方が多いので、私も自然と香月泰男先生の作品を多く扱うようになり、香月泰男展も数回開催いたしました。ただ、やはり熊谷作品に関する情報収集や取り扱い作品数に比べると、まだまだ他の作家さんの取り扱い状況はその他大勢の画廊の一つにすぎないです。
人生を楽しみながら働き、人と出会うことが元気の秘訣
市川さんは熊谷守一先生一筋だと思いますが、お仕事以外の時間で楽しみはありますか。
私は岐阜県という地方に住んでいますから、都会の人と話すことは一つの楽しみです。東京が美術の中心ですから必然的に出張が多いのですが、自然と色々な人脈が広がっています。幸いなことに、熊谷守一先生の作品の魅力のおかげで様々な方とお会いできたり、新しい人と出会っておしゃべりできたりしますので、それが一番のエネルギー源になっています。他には地元の活性化として中心市街地の協議会の会長をやったり、私が発起人の一人となって立ち上げた協同組合美術商交友会という画商団体の活動もしていたりします。美術商という仕事は本当に広がりがあって楽しくて、仕事が趣味みたいになっています。
>色々な活動に精力的に取り組んでいる市川さんの元気を維持する秘訣は何でしょうか。
秘訣は、疲れたなと思ったら早く休むこと。それからお酒の飲みすぎはいけませんが、適度に飲んで、人と楽しくたくさん話す時間を過ごすとストレスを発散できます。よく食べて・よく寝て・よく話すのが私の健康の秘訣です。
また、5月から10月にかけての岐阜市内では長良川の鵜飼がひらかれています。岐阜出身の熊谷守一先生や前田青邨先生をはじめ、多くの画家を魅了した鵜飼の船に乗り、時代を超えたのどかな美しさを毎夏楽しむことも岐阜県人らしい元気の秘訣かもしれません。
素晴らしいことをたくさん成し遂げていらっしゃるのに、市川さんからはとても謙虚な印象を受けます。
きちんと人様のためになって、かつ正しいことをしたいと常に思っています。良いことをしても正しいかどうかだけのものさしではいけませんし、打算的に有利不利だけで決めるのも良くありません。やろうとしていることが人のために良いかを考え、ひとりよがりにならないようにしたいです。妻に言われて印象に残っているのは、働くにしても人生を楽しみながらという視点を加えるべき、という話です。ただ一生懸命に働くのも素晴らしいですが、その見方一つを加えるだけで同じ仕事もやりがいあるものになると思います。
「からだ全体で楽しめる美術作品」は人生を豊かにする
普段から多くの絵に触れる市川さん流の「絵を楽しむためのコツ」を教えてください。
世間では「自分の好きな絵を買うのが一番」とよく言いますが、好きなものを買うにしてもまずは文献を読んだり人から話を聞いたりして、その作家さんのことをよく調べて納得したものを手に入れられるといいと思います。そして、その絵は常に見えるところにかけておいて、「からだ全体で絵を見る」ことが大事です。そのためには自宅で見なければ意味がありません。美術館で見る絵も素敵ですが、人間は立っているだけでも緊張しています。自宅ではよりリラックスして絵を見られますから、「からだ全体で作品の良さを感じ取る」ことがおこないやすいです。そういう意味では、一緒に暮らしてみたいと感じる絵を購入するのが一番いいと思います。
今後どういったお客様に柳ケ瀬画廊へ来てほしいと思いますか。
人生は限られた時間です。その時間をアートで楽しみたいというお気持ちの方でしたら、年齢・性別を問わずご来廊いただきたいです。
また、すぐに作品を買い求めたいという方に限らず、熊谷守一作品を鑑賞してみたい、どんな作家か知ってみたいという方にも気軽に画廊と作品をお楽しみいただきたいです。私は美術商という仕事をしていますが、美術と熊谷作品が好きで続けていますので、熊谷先生のファンの輪が広がることが何より嬉しいです。
最後に、柳ケ瀬画廊が他の画廊と違う部分を一つ挙げるとすれば何でしょうか。
2018年に長良文庫という別部門を設立し、これまで地道に集めてきた熊谷守一先生の文献や各種資料をアーカイブ化することをはじめました。熊谷先生が1977年に亡くなられてから40年以上が過ぎ、当時の空気感の分かる明治大正昭和の資料に気軽にアクセスすることが難しくなっています。また、嬉しいことに近年は美術館などでの熊谷守一展が盛んになったこともあり、毎年のように新しい書籍や画集も次々と刊行され、新しい発見や資料との繋がりも増えています。
熊谷守一作品を手に入れた際、そうした知識はより深く作品を理解する助けになってくれます。また、お客様や研究者の方に情報提供することで新しい熊谷作品の見方を教えていただけることもあります。
柳ケ瀬画廊は2019年に創業百年を迎えました。商売人としてただ絵を売買するだけでなく、専門資格と専門知識を強化して活動する、ニュータイプの美術商を目指しています。百周年記念事業として、その一部を紹介した書籍『柳ケ瀬画廊の百年 熊谷芸術と資料』も刊行させていただきました。
これまでコツコツと一段ずつ積み重ね、より良いものを追いかけながら上を向いて歩いてきました。上を向いて歩くのはなかなか辛いことですが、なんとか今まで足を踏み外さずにやってこられたのは、お客様や同業者の皆さまからたくさんのことを教えていただけたからです。そうしたあたたかなご縁をいただいたことを忘れず、熊谷作品の価値を次の時代へバトンタッチしていける画廊でありたいと思います。
熊谷守一先生の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたい。そのために全国を飛び回って活躍する市川さんの情熱に触れられたお話でした。本日はお時間をいただきありがとうございました。
柳ケ瀬画廊の詳細はこちら
https://toobi.co.jp/artfair/galleries/199